1月27日(土)に、50人近くの参加で、大田区役所前から京急蒲田駅までを歩きました。
普段何気なく、ただ目的地目指して歩いているだけの道も、歴史に刻まれた人々の生活の証が感じられ、ずっと長い間蒲田と蒲田の間は歩くもの、だからそこに美味しい食べ物屋さんやアプリコのような公共の施設があり、バスが通って人々を運んできたことを思います。
そうした積み上げられてきたまちの姿を地下に鉄道を通すことで潰そうとしているのが、大田区のこの計画なのではないだろうか。そんなことを考えてしまうのでした。
実際、町行く人に聞くと、知らないという人が一番多く、次は知ってるけど疑問に思う人、使わないと思うのでノーコメントという人、そしてたまに早くできてほしいという人がいるくらい。大田区が40年来の悲願というなら、それは区民も早く蒲蒲線が通ってほしいと切に願ってきたことを意味するはず。それなのに、ほとんどの区民はそこまで思っていないのです。
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